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- 高田荘(古代)とは
「高田荘(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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高田荘(古代) 平安期に見える荘園名河内国錦部【にしごり】郡のうち観心寺領元慶7年9月15日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書/大日古)の諸荘事の河内国錦部郡2所のうちに「高田庄水陸田伍町肆段 同郡一条川原里三坪四段……右,民部省貞観十一年六月九日符施入」とあり,「同庄野地参拾町……右,貞観九年三月十七日国判」とあり,このほかに「地壱町……右地,台沙弥丸等,為成七世父母仏道,承和十二年正月十日施入」「同郡高向地壱町伍段……在錦部郷高向村,右,承和八年七月二日郡判券」「地参段参佰弐拾歩 同郡余戸郷十条宮道里十四坪壱段百六十歩……脱漏省符,依券契領納」「十一条佐太里七坪一段百六十歩……承和九年十月十九日券」「墾田肆段佰捌拾歩〈比野地〉……専売人草原冨吉 承和十二年十月廿七日券 右田,脱漏省符,依券契領納」とあり,散在する広範な地よりなり,様々な形で施入された荘園であることが知られるこの後当荘の存在は明らかでなく他の多くの観心寺領荘園と同様,廃絶したものと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田荘(古代) 平安期に見える荘園名安芸国のうち安元2年4月5日の平某安芸国高田荘寄進状によれば,平某が「安芸国高田庄」を高野山に寄進している(高野山文書)当荘は高田郡内にあったとも思われるが,これ以外に関連する史料を見いだせず,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」